「庭とエスキース」について

   

2019年となった。私家版写真集「弁造 Benzo」を上梓したのがちょうど一年前と少し前のことでした。昨年の時点では、この写真集と写真展で約20年かけて撮影を続けてきた「弁造さんの生きること」は表現できるのではないか。大切にしてきたテーマが終わってしまうことの寂しさを覚えながらもそう考えていました。実際、写真集制作から写真展の準備へと至る過程は実に濃密で、弁造さんの生きることに向き合う最後の時間としてはある種のクライマックス的な思いもありました。

しかし、出会いや出来事というのは全くもって不思議なものです。これで一区切りがつくはずが、蓋を開けてみると昨年は写真集を制作していた一昨年以上に”弁造さんの生きること”を考え続ける一年となりました。

写真集制作に合わせて銀座のニコンサロンで開催した個展「庭とエスキース」と写真集を見てくれたみすず書房の編集者の方から、「弁造さんのことを言葉にしてみませんか?」というお誘いを受けたからです。

写真を撮る理由は、写真でしか近づけないことがあると感じています。その写真でしかできないことに僕はいつも揺さぶられ、気づかされます。しかし、その一方で言葉にしかできないことがあるとも感じます。それが何であるか、弁造さんの”生きること”を書くことで知ることはできないだろうか。もし、そこにたどり着くことができれば、弁造さんの”生きること”にもっと近づくことができるのではないか。20年という時間のなかで得た弁造さんとの記憶。そのなかを行ったり来たりして、言葉をひとつひとつ選んで書き進めることになりました。

それは、弁造さんの”生きること”がこれほど自分のなかに詰まっていたのかと自分自身に驚く時間でもあり、他者の存在が個に与える影響の深さに改めて気づいた瞬間でもあったと思います。

そして、夏の終わり頃、編集者の方からタイトルを提案されました。それは、昨年1月の展示タイトルでもあった「庭とエスキース」でした。

庭を作り、絵を描く。しかもその絵はいつも完成しないエスキース(下絵)でした。今となっては「弁造さん」という人生は確かにこのふたつに収斂されていくように見え、そして、僕の目から見えるこの庭とエスキースの光景は、限りなく味わい深く、確かで、温かなものに感じれるのです。きっと僕はこの実感を得たくて弁造さんとの記憶に手を伸ばし、長い長い言葉を書き連ねていったのだと思い起こしています。

                              2019年3月 

                  冷たい春の雨が降る雫石にて 奥山淳志